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歴史

HISTORY 

伊都国と火山の歴史

玄界灘のともしびの山 「火山」の2つの伝説

以下、「糸島観光サイト つなぐいとしま」のHPより引用。

「太宰府への連絡場所だった?
 古来より夜間の海上交通の目印となっていた火山。「筑前國続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」には、神功皇后が新羅(しらぎ)討伐の際に山上で火を焚いたことが記され、火山の名の由来となったと伝わっています。海上からの目印という以外に、もう一つの役割があったとする説もあります。火山が大宰府に外敵の侵入を知らせるのろし山だったというもの。瑠璃光寺の駐車場からは、遠く高祖山(たかすやま)の向こうに、大宰府政庁跡の真横に位置する大野城跡が見え、のろし山としての役割があったことを想像できます。

「瑠璃光寺に残る伝説① 瑠璃色の光

 遣唐使節が盛んだった頃、この海域を通ったある船が大きな嵐に見舞われたそうです。その時、火山の山頂に瑠璃色の光が輝きました。乗っていた人々が光に向かって拝むと、光は消え、嵐もおさまったそうです。以来、航行する船は帆を下げ、礼拝する習わしができました。」

 

「火山に残る伝説② 夢のお告げ

 1532年、瑠璃光寺は火災に見舞われ、ご本尊や七堂伽藍(がらん)などをことごとく焼失しました。信仰深い村人たちは嘆き悲しみましたが、ある夜、村人たちの夢枕に薬師如来がたち、「壱岐に住む孫次郎の家の庭の椿の木に宿っているから迎えにきてくれ」とお告げがありました。村人たちが壱岐へ行くと、確かに椿の木があり、この木に村人たちの手でご本尊を刻んだと伝わります。」

伊都国(いとのくに/ いとこく)

「3世紀の邪馬台国の時代に倭にあった小国一つ。後の筑前怡土(いと)郡,今の福岡県糸島郡。」(改訂新版 世界大百科事典より)

 

これまでも発掘調査や考古学研究がなされてきており、古墳や出土品からもその国の存在が示唆されている。糸島市井原にある「伊都国歴史博物館」においてその歴史を学ぶことが出来る。

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